フランク・ショーターが自ら語る製品に対する信念

なぜウエアの会社を?

私は70年代の現役当時から、自分の納得のいくランニング用のウエアがどうしても必要でした。
世界各国のスポーツシューズのメーカーは、世界的な選手達のために絶えず自社製品の開発、改良を試みていました。  特に、五輪前年頃になると数多くの画期的なシューズが生まれていました。  しかしランニング用のウエアはシューズに比べて開発が随分と遅れていると常々思っていました。

当時は世界中でレースをしたおかげで、多くのランナー達に出会いましたが、彼等と話をしてみると全く私と同じ不満を持っていました。 そこで、私はランナーによるランナーのための本物のウエアを作る決心をしました。 しかし、当時はアマチュア規定が大変厳しい状況でした。 スポーツ用品メーカーと契約したり、広告に出演したり、レースに出場して賞金を貰うような事はアマチュア選手である限り不可能でした。  自分自身が生活をしていくからには、どうしても収入が必要で、日々の過酷な練習に加えて、家族との生活を維持する為に働かなければならない状況でした。
国家的な制度で生活を保障されている選手達はその問題はなかったのですが、自由圏諸国の殆どのアマチュア選手達は私と同様な問題を抱えていました。


五輪出場が出来るレベルの選手は毎日、血の出るような練習を積まなければなりません。 でも、生活に追われて満足のいく練習が出来ず、アマチュアの資格を捨てて、プロになっていく多くの選手も見てきました。
そこで、アマチュアのままで自分の生活の糧とするウエアの会社を自分自身で設立して経営する事がアマチュア規定に抵触するかどうか、米国陸上競技連盟に問い合わせをしました。 当時の答えは、自分自身が資金を調達し日々の経営に参加することであれば許可するというものでした。 私は自分自身でパートナー達と力を合わせて、資金集めから、デザイン、材料の調達、生産工場、倉庫、事務所、販売網、宣伝など総てをやり遂げました。 激しい練習との両立は本当に大変でした

当時、大手のスポーツ用品メーカーではランニングウエアにあまり力を注いでいませんでした。 本当に走る人達のためを思っての製品は皆無でした。 私達の会社は、私の経験や、多くのランナー仲間の意見を参考にして、自分達が満足出来るものを作る努力をしました。 究極的な商品の開発を目指しました。

 

それが、1977年米国コロラド州ボールダーで生まれたフランク・ショーター・ランニングギア社だったのです。 シカゴの全米スポーツ用品見本市でデビューしました。 その直後、人気スポーツ誌「スポーツイラストレイテッド」に、私達の開発した商品や会社が大きな記事として取り上げられ大好評でした。