編集部: まず、ショーターさんの経歴をお聞かせください。
ショーター: 私の父はアメリカ陸軍の医者でした。 第2次世界大戦後、アメリカ軍が駐留したドイツのミュンヘンに母と住んでいました。 そこで、次男として私は生まれました。 翌年、家族はアメリカに引き揚げ、ニューヨーク州のミドルタウンという町に住み、地元の小学校、中学校に通いました。 私は10人兄弟で、1人の兄と6人の姉妹、そして2人の弟がいます。
編集部: エール大学では何を専攻したのですか? ショーター: 父が医者でしたので、やはり私も医者を目指していました。 当時のエール大学では運動部での奨学生制度はありませんでした。
編集部: その頃からランニングは強かったのですか? ショーター: いまの学生も同じでしょうが、私の学生時代も走ること以外にも面白くて、興味のあるものが沢山ありました。 スキーや音楽などでした。 今から思えば練習熱心な選手ではなかったでしょうね。 ただ3年生の終わる頃に、私はギーギンガック氏に自分のランナーとしての可能性を尋ねたことがあります。 私が両親のところへ帰省する時に彼と同じ飛行機に乗り合わせました。 彼はメキシコオリンピック出場のアメリカ陸上チームをコーチするために合宿地のカリフォルニア州ターホ湖に向かうところでした。 ギーギンガック氏は 「君は走る距離を伸ばすことは出来たが、さらに高地トレーニングを経験し真夏でも走り続けろ」 とアドバイスをくれました。 その通りに実行すると、その秋のクロスカントリー大会で私は勝ちつづけて、翌春の全米学生選手権の6マイル(約10キロ弱)で初めて優勝することが出来ました。 編集部: その優勝が貴方の華々しいランニング歴のスタートだったのですね。 エール大学を卒業後はどうされたのですか? ショーター: 医者を目指していたので、再度ニューメキシコ州立大学の医学部に通いましたが、実家の家計が大変苦しくなり、両親にそれ以上負担をかけさせる事が出来ないと思い医者になることを断念しました。 父は当時、教会関係の病院で殆ど奉仕活動のような勤務だったし、両親は沢山の子供をかかえていたからです。
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