米国コロラド州ボールダーの自宅でのインタビュー。 適時このサイトに連載します。
第9回 いよいよ福岡へ

集部:   パンアメリカン大会のマラソンレースの最中にトップを走っていた貴方はお腹の調子が悪くなって、やむに止まれずコース脇にあった側溝に飛び込み用足しをしたのですが、その間なんと400メートルほど差をつけられてしまったのですね。

ショーター:  ええ。 でもすっきりしたので追いつくのに時間はかかりましたが調子がよくなりました。 赤道直下のコロンビアの夏のレースだったので、とにかく大変暑かったのです。 一緒に参加してトップを走っていた僚友のケニー・ムーア選手は熱射病になり途中で棄権をしてしまいました。 
私は暑さにはもともと強いのですが、ケニーからスタート前に借りたマラソンシューズで走っていたため、足にマメが出来てしまい、またこのコロンビアのカリ市は高地のため空気が大変薄いので、私はレースに勝てると判ってからはペースダウンをしました。 
タイムとしてはあの状態、条件ならば満足のいくものでしたし、まさか勝てるとはまったく思っていなかったので、選手生活で初めてのマラソン優勝で大変嬉しかったです。

集部:  結局、生理現象のハプニングであなたはどのくらいタイムロスをしたのですか?

ショーター:  1分ぐらいだったと思います。 選手にとって、このようなことは長距離の練習やレースでは珍しいことではありませんね。  まあ、大事なレース時では起ってはいけないことなのでしょうが。

集部:  この優勝がきっかけとなって、世界のトップのマラソン選手達にとっては、当時五輪に次ぐ実質のマラソン世界選手権であった「福岡国際マラソン」に招待されることになるのですね。

ショーター:  ええ、そうです。  世界中のトップマラソン選手の憧れの「福岡国際マラソン」に招待されるとは夢にも思っていませんでしたので、コロンビアのパンアメリカン大会後のその年の12月に招待されて参加できることは大変な栄誉でした。 わたしはパンアメリカン大会の1万メートルとマラソンの両種目で優勝できたのですが、当時住んでいたフロリダ州のゲインズビルに戻り、フロリダ大学の法律コースの学生としての勉学生活に戻っていました。 弁護士になろうと決心していたのです。 米国陸連経由で届いた「福岡国際マラソン」への招待状は、僚友のケニー・ムーアにも届きました。 「日本へ行けるぞ。 しかもケニーと一緒だ」と大喜びしました。 彼は前年の同大会で、日本の宇佐美彰朗選手に次いで2位になっていたので実績があったのです。

第10回へ続く ・・・・・・・

インタビューバックナンバー

>>inteview contents  第1回 第2回 第3回 第4回  第5回 第6回 第7回 第8回  第9回  第10回  第11回  第12回

トップページへ